この銀山の歴史は古く、1309年に周防国(現在の山口県山口市)の戦国大内氏により発見された。 その後、出雲の豪族尼子氏と大内氏との間で争奪戦が始まった。
毛利元就により大内氏が滅んだ後、毛利氏との間で争奪戦が始まり、1562年に毛利氏が石見銀山を手中にし、豊臣氏の朝鮮出兵の軍資金にも使われた。その後採掘主が変わるなどの変革受けながら大正12年まで採掘が続いた。
昔の銀を搬出した街道筋の町並みは趣があり一度は見る価値があります。
散策の途中で、家内が「あれ何の実なんだろ?」と言うので側まで行って見たけれど「??」、手にとって初めて柿の種類であることがわかった。
こんな小さな実を食べるのかな? それにしても沢山ある!
島根県出身の友人によれば、周辺の観光地とのコラボが頼りの状況で、あまり観光客は多くないと言ってました。観光地化しないのは環境保護の面ではよいです。
返信削除私はまだ行ったことがありません。
確かに観光客としては少ない方の部類に入ります。 しかし、景観を維持保全するには良いところではないかと感じました。
返信削除また、石見銀山の所在地である太田市周辺は、特にこれと行った観光名所は少ないと思いますので難しいと思います。
ただし、山陰自動車道が浜田市まで開通すればそれはたいへんになると思います。
中国自動車道、山陽自動車道は全線開通しており、岡山から米子までは米子自動車道が開通しています。山陰道も米子から出雲までは開通していたので大田市」まではあとわずかです。 一般道でも太田市か出雲までは1時間くらいと思います。 現在松江から中国道の三好までは自動車道が開通しており、三好から世羅までが工事中です。これが全線開通すれば賑やかになりますが、自然保護には問題が出てきそうです。 長文失礼しました。 またの機会に出雲地方の事を書いてみますが、たたら製鉄法は出雲で開発されたそうです。